

宗像市立 吉武小学校
開校150周年記念事業
実行委員会について
吉武小学校150周年記念事業 実行委員長あいさつ
明治政府は、国家事業として、教育の機会を国民に与えるため、明治5年(1872年)学制を太政官布告し、明治8年(1875年)10月に吉留小学校が吉留本村に開校されました。本年で150年を迎えます。吉武小学校関係者、地域住民、PTA役員等で昨年、150年事業実行委員会を組織し、記念事業について協議を重ね、多くの皆様のご理解、ご支援により様々な事業が実施できることを心から感謝申し上げます。
さて、吉武地区では、江戸時代から明治初期に、平山寺小屋、吉留塾で子弟の教育がなされ、地域の人材育成に先駆的な取り組みが行われていました。小学校開校後は、明治22年、吉武村の発足により吉武小学校となり、明治41年には武丸字天神(現在の場所)に移転しました。その後、大正、昭和の激動の時代も、地域産業である農業や神社等の歴史文化遺産を活かし、住民と連携した教育が行われ、多くの人材を輩出してきました。
今から約50年前の100周年事業では、新庁舎落成記念併せ、記念誌の発行や記念式典等が盛大に行われました。この時の記憶がある人も少なくなっており、50年を振り返り、今後の更なる小学校の発展、子ども達の成長を願うため、150年の節目に記念事業を行うことは大きな意義があると思われます。
吉武小学校校長室には、歴代の校長先生の写真があり、吉武小学校の長い歴史を実感するとともに、自分たちが学んだ時代がなつかしく思い出されます。義務教育は教育基本法、学習指導要領により全国同一レベルで行われており、小学校6年間は、多くのことを学び、体験することで大きな成長があり、よりよい教育環境で子どもたちが安心して学校生活が過ごせることは、保護者や地域住民の強い願いでもあります、
日本は、終戦後、日本国憲法下で、民主教育、経済復興、産業振興が行われ、時代に応じた様々な教育、政策が行われてきました。高度経済成長期、オイルショック、バブル崩壊、失われた30年、そしてコロナ感染症拡大で社会経済は、大きな影響を受けました。
感染症の終息後、学校現場には、GIGA(ギガ)スクール構想により、タブレット端末が全員に配布され、これを活用した授業で教育環境は、大きく変化し、教師、保護者等の学校関係者に大きな意識変化が起っています。
宗像市の教育方針は、小中一貫コミュニティスクール、地域学校連携活動であります。吉武地区では、豊かな自然環境、神社を中心とした歴史文化遺産、指定天然記念物を教育現場で地域コミュニティと一体となって行う体験学習を、従来から積極的に行っており、宗像市の教育の最先端と自負しています。
現在は、人工知能、生成AI(エーアイ)が急速に普及し、社会、経済、教育現場でも経験したことがないような大変革期を迎えています。特に生成AIの利用が教育に与える影響は大きく、情報収集、知識習得の手法が大きく変化しています。このような中でも、教育の本質、成長期の児童にとって欠かせない学力、体力向上や体験活動の大切さを、将来的にも、学校と地域コミュニティ、住民が情報共有しながら同一方向に向かって、協働活動を行うことは、吉武住民としての使命ではないでしょうか。
最後に、開校150年からさらに50年、100年にわたり、吉武地区の次世代を担う子どもたちの健全育成と郷土愛に満ちた豊かな感性、人間性あふれる人材輩出を期待するとともに、吉武小学校の更なる発展を願っています。
宗像市立吉武小学校開校150周年記念事業 実行委員会
実行委員長 髙山 國敏
